「親密な他者」展企画書

Ns ART PROJECT「親密な他者」展企画書

Ns ART PROJECTは、発足より、様々なアーティストの個展を開催してまいりましたが、1年半を経過する時期(2017年6月後半)に、新たなる方向として、グループ展を企画することといたしました。

その第一弾として、当プロジェクトのリサーチにおいて極めて重要と思われるアーティストによるグループ展を企画しました。スタイルと方法においては大いに異なりますが、いずれの方も、身近な事物や自然を独自の繊細な表現へと昇華させ、大切なものを見失わない省察とともにある点で共通しています。

グループ展のタイトルは「親密な他者」といたしました。身近なものが独自のスタイルで表現されたとき、それらは、いつもの親しいもののようでありながら、全く別のよう(他者)でもあるさまを示すべく、命名いたしました。

「親密な」といえば、身近なものをモチーフとする「インティミスト(アンティミスト・親密派)」が思い起こされ、どんなものでも描き得るアートにおいて、あえて親密なものを描く傾向をさす言葉が連想されます。

「他者」は「他者性」とも言えますが(実際、英訳は「Otherness(他者性)」としています)、現代の哲学や精神分析などにおける重要概念です。自我を中心概念としてきた西洋の知識は、フロイトからラカンに展開する「もうひとりの自分」によって、大きな転換をせまられましたし、「野生の思考」を見出したレヴィ=ストロースの構造主義や、「作者の死」を宣言した文芸批評家ロラン・バルトをはじめとしたポスト構造主義者によって、ひとつの主体を中心とした価値観が否定され、文化が恣意的なものであり、価値ではなく差異のみがある、あるいは、主体があるのではなく、他者から見たときの差異があるのみであると指摘されました。ピカソをはじめ、デュシャン、シンディー・シャーマンにいたるように現代アートは、他者性がキーとなることで分析がなされることがあります。

本展は、そうした学術的な「親密」や「他者性」に根底では通じているとも言えますが、そのことよりむしろ、優れた特殊な作品が与える現代的な鑑賞体験を表す意味で「親密」と「他者」という語が用いられるとした方がわかりやすいでしょう。つまり、親密な事物や自然が、表現を通して、微妙に知っているものと異なるさまを「親密な他者」という言葉で言い表してみたというわけです。かつては「暗闇であった他人」(M・フリード)と言われるほどに見慣れないものであった現代美術は、多様になり、写真や映像と競い合いながら、やがて、それらと融合するなどし、かつての主観と客観を軸とした表現主義や抽象といった超越的で見慣れないものを提示することだけではなく、「親密な他者」として存在することにその意義があるようになったと言えるのかも知れません。

本展における身近な事物や自然をそれぞれの材質により独自の表現としたアートは、「親密な他者」性をもつ何かであり、決して遠くにあるものではないはずなのに、味わったことのない、形容の難しい感情、言わば異種(他者)としての感動をもたらし、ひとびとの心に刻まれるのです。そして、その感動は、このギャラリーの特性である、白い光と白い壁の小さな空間においてはいかなる差異(他者性)さえも浮かび上がるということにも起因するのであり、そのことは、最後ながら重要なこととして、附言されなければならないでしょう。この現代アート・ギャラリー自体も、「親密な他者」としての空間であるからです。